「ワカサギを掬う人」VS「バサー」

最盛期には多くの人が浜に押し寄せ、賑わいを見せる琵琶湖の“ワカサギ掬い”。

実はこの時期、ワカサギを追っているのは人間だけではない

そう“ブラックバス”である。

接岸するワカサギを求めてバスの活性も上り調子。

それを釣らんとバサーのテンションもうなぎ登り。

ワカサギは人間とバスに追われ、バスは人間に追われる。

なんだか不思議な食物連鎖のようにも見えるがワカサギの立場が悲惨である。


「ワカサギを掬う人」VS「バサー」

自然界であれば同じ獲物を追うもの同士が争うのだけれど、

琵琶湖の浜ではしばしば「人間同士の争い」が見受けられる。

そう「ワカサギを掬う人」と「バサー」との対立である。

ワカサギ掬いではライトを多用し目視でワカサギを掬っていく。

対してバス釣りではバスが警戒するためライトの使用を控える。

もし、ライトを灯さず息を殺して黙々とバスを狙っているバサーの付近を、

煌々とライトアップしていこうものなら、

「よろしい、ならば戦争だ」

と言わんばかりに口論が始まるわけである。

ワカサギ掬い側も食料がかかっているため血の気は多い。

血で血を洗う結果に…..はそうそうならないがお互い気分のいいものではない。

そうならないために自分が気を付けていることは、

バサーには何があっても近付かない」、「不用意に照らさない」の二つである。

例え無数のワカサギが群れていようとも、

ロッドを振る音が聞こえれば決して足を進めない。

ましてやライトで照らすなんてもってのほかだ。

逆もまた然り

なにも「バサーを敬え」と言っているわけではない。

どんなにいっぱいワカサギが掬えようともいざこざになれば台無し。

気分は最悪でワカサギをあてにクソ不味い晩酌をすることになる。

例え採れたのは少しでも何事もなければ、

一日を締めくくるにふさわしい至福の時が待っている。

どちらを取るかという話だ。

断わっておくがどちらか一方を擁護する気は毛頭ない。

自分は「バス釣り」もするし「ワカサギ掬い」もする。

バス釣りをする時はワカサギ掬いの人が邪魔と感じるし、

ワカサギ掬いをする時はバサーが鬱陶しい。

非常に自分勝手。

人間なんてそんなものである。

だから近付かない。

バサーと話す時は網を置き、ワカサギ掬いの人と話すときはロッドを置く。

「決して分かり合えない」

そう言っているようで寂しく感じるかもしれないが、

みんなが気分よく過ごせたらそれでいい。

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コメント

  1. 脇田 国香 より:

    夜に行かないと駄目だと思いますが、それにしてもワカサギを手網だけで掬って行くというのが凄いですね。
    岡山にいたときは、同じアパートの一角のベトナム人達が、夕方になると旭川で夕食のおかずのために、一生懸命釣りに励んでいましたが、もし彼らが琵琶湖近郊に居たら、休日前の夜は凄い勢いで掬いまくっただろうと想像してしまいます。

    • KaZ より:

      湖上のワカサギ釣りしか知らなかったので最初は半信半疑でしたが、岸際で無防備に群れる姿を見て合点がいきました。日本人でさえ血眼で網を振るっているので、根こそぎ掬っていくことでしょう。

  2. kuwagata_hiroki より:

    こんばんわ。
    バス釣りにせよ、ワカサギ掬いにせよ、一般市民と比べたら少しは自然に関心があるナチュラリストの端くれでしょう。自然の中で遊ばせてもらっているのなら、自然や他人にもっと謙虚でいて欲しいですね。

    • KaZ より:

      こんばんは。本当にそう思います。私が言えたことではないですが、目先の利益を優先して「配慮」が欠けていると感じます。人が多い場所は気を遣って気疲れしてしまいます。それならば、利益が少なくとも羽を伸ばせる人が少ない場所を選んでしまいますね。もちろん、良い人もたくさんいらっしゃるんですよ。そういう人との繋がりを大切にしていきたいです。